駅近くの本屋、文庫本の棚で伊丹十三「女たちよ!」をみつけた。今月の新潮文庫「おとなの時間」フェアで選ばれた本を展示しているコーナーだ。伊丹十三の本は、以前、文春文庫で出されていたが、それらがカバーも新たに新潮文庫から再登場している。(左:文春文庫、右:新潮文庫)
いまは映画監督として語れることが多い伊丹十三だが、私と同年代の人は、伊丹十三は、チャールトンヘストンやデビッドニーブンと共演した国際的俳優であり、「ヨーロッパ退屈日記」「女たちよ!」などのエッセイでヨーロッパのライフスタイルから料理、クルマ、ファッションなどの話題を、幅広くを語る人として記憶している。伊丹十三の才能は、これだけにとどまらず、デザインやイラストの世界でも一流であった。たとえば、山本嘉次郎は、”伊丹十三さんの題字を得て、私は狂喜した。伊丹十三さんの明朝体は、日本一である。いや世界一である”と、「たべあるき地図東京横浜鎌倉」の中で述べている。
伊丹十三は、ちょっとしたことにもホンモノにこだわる姿勢を貫いていた。豪華でなくとも、手間を惜しまず良い材料を選び正しい手順でつくられたものを選ぶ、それがホンモノの生活だという姿勢だ。いまやあらゆるブランドショップが集まる日本では、ブランド品を見ることも買うことも簡単になった、でも、ほんとうにそれが似合う人は少ない。たとえば伊丹十三は、「女たちよ!」のなかで”毛皮のコートを着るとたいがいの女性は高級コールガールに見えてくる、毛皮を着るためには毛皮に圧倒されないだけの気品というものが必要である”と語っている。これなどは、いまも十分通用する話だろう。
こうしてみると、5月の新潮文庫「おとなの時間」フェアで伊丹十三の「女たちよ!」が選ばれたのは、なかなか良い企画だ。これを機会に、いまふたたび伊丹十三を読み返してみよう。
ところで「女たちよ!」の最初の話は「スパゲッティのおいしい召し上がり方」だが、私は、そのスパゲッティでずっと気になっていることがある。 スパゲッティを食べるときスプーンを使う人である。右手にフォーク、左手にスプーンを持ち、スプーンでフォークをささえながらスパゲッティをくるくる巻きつけているが、あれがどうも気になる。
以前、このスプーンを使ってスパゲッティを食べる方法を、ドイツに住んでいたイタリア人へ質問したことがある、その答えは、”子供ならよいが大人はしない”であった。逆に質問されたのは、”日本人は、ご飯を食べるときハシを使うが、外人にわざわざスプーンを出してきた日本料理屋があったが、スプーンでご飯を食べるのはどうだろうか?” である。そのときの私の答えは、”それはスパゲッティと同じだよ!”。はたして、スパゲッティを食べるときスプーンを使うのはイタリアではどのように思われているのだろうか?
最近のコメント