いまふたたび伊丹十三

2006/06/22

いまふたたび伊丹十三(5)

 伊丹十三の日本世間噺大系に「プレーン・オムレツ」という話がある。レストランを訪れそこのオヤジから、プレーンオムレツの作り方を聞き出すのである。

 オヤジがオムレツを作るのを見るのだが、あまりにあっけなく作ってしまう。原稿30枚程度にする予定だったが、これでは難しいだろうとオヤジが心配するなか、伊丹十三自らフライパンを握ると一回目は失敗するが、二回目にどうにか成功する。その間に、オムレツ作りのコツにくわえて、昔の料理人の待遇や、いかにプロがフライパンを使うかの話をオヤジから聞きだし見事な文章にまとめている。

 日本世間噺大系では、このオヤジが誰なのか書いてないが、オヤジとは日本橋にある有名な洋食屋たいめいけんの茂出木心護だ。昨日、「匁」の話で紹介した茂出木心護「たいめいけんよもやま噺」には、”伊丹十三さんがオムレツのことをききにこられ、原稿用紙四百字詰め三十枚にまとめるとおっしゃる”とある。

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2006/06/18

いまふたたび伊丹十三(4)

 先週半ばから伊丹十三「ヨーロッパ退屈日記」(文春文庫)を読んでいる。たぶん1995年ごろのことだと思うが、伊丹十三の文庫本が長い間在庫なしの状態が続いていたが、再び店頭に並んだことがあった。手元にある本は、そのときに国立にある増田書店で新刊を購入したものだ。

Itami_4 「ヨーロッパ退屈日記」には、三つのあとがきがある。最初は1969年3月1日付けのポケット文春のための著者自身のあとがき。次は、山口瞳による「伊丹十三について」。3番目は、1974年7月1日付けの、再び著者自身によるあとがきである。

 この3番目のあとがきで、「ヨーロッパ退屈日記」誕生に加えて、伊丹さんと山口瞳さんの交流が詳しく述べられている。

 ”私が山口さんと最初に知り合った時、私は二十一歳、山口さんは二十九歳であった。当時、山口さんは河出書房から出ていた「知性」という雑誌の編集部に勤めるサラリーマンだった。そして私は駆け出しの商業デザイナーであった。”

 二人の関係はこのように始まり、一緒に食事や飲みに出かけるようになるのだが、やがて「知性」は廃刊となり、伊丹さんは俳優となり海外へ行くのである。

 その後、伊丹さんは帰国後に文芸春秋から依頼で原稿を書いたのだが、それがボツとなり、サントリーのPR雑誌「洋酒天国」に載ることになった。その洋酒天国に、山口瞳さんがおり、「ヨーロッパ退屈日記」の題名も山口さんがつけたのである。

 伊丹さんと山口さんは、このような関係があったのだ。そして国立の増田書店は、国立在住であった山口さんがよく訪れた店であった。

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2006/06/11

いまふたたび伊丹十三(3)

 前回、伊丹十三の「日本世間噺大系」を探し回ったことを書いたが、たまたま入ったブックオフで見つけた。それも欲しかった文春文庫版だ。あれほど探したときは見つからなかったのに、なんという巡り会わせだろう。

Itami_3 ところで、文春文庫版(左)と新潮文庫版(右)を並べてみたら、カバーデザインが微妙に違うのにきづいた。 両方ともタイトルの字体も色も同じで、イラストも同じ矢吹申彦が担当しているが、描かれた人物がちがう。 文春文庫版は、上役と頭を下げているサラリーマンのような人物を描いているが、新潮文庫版は、ちょっと不器用そうなオジサンが走っているような絵だ。それでも全体のイメージは、ほぼ同じである。

 和田誠は、装丁物語なかで「文庫のカバー」について、”ぼくはできるだけ読者に混乱を起こさないように・・・文庫化の場合、少なくとも自分が単行本もやった場合は、ほぼ同じデザインをすることが多い”と語っている。たぶん新潮社の担当者も、そのような考えで、会社が変わってもあえて同じようなイメージとすることを選んだのだろう。

 しかし、そうとも言えないものもある。たとえば、以前紹介した「女たちよ!」は、文春文庫版と新潮文庫版でまったく図柄が異なっている。これはどうしてだろう。和田誠は、その本のなかで”編集者の立場になれば、・・・単行本と文庫で出版社が違うということもあります。この場合、A社で出した雛形みたいな本はB社としては作りたくない”とも書いている。編集者も、いろいろ悩んでいるんだろうな。

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2006/06/03

いまふたたび伊丹十三(2)

 伊丹十三の二冊目は、日本世間話大系にしよう。この本は、以前、単行本を読んだことがあったが、出先で読むために古本屋で文庫本を探してみた。

 しかし、これがなかなか見つからない。近くのブックオフの文庫本棚をみても、伊丹十三の名を書いた仕切り板が無い、「い」のコーナー、文春文庫のコーナー、新潮文庫のコナー、¥105のコーナーの全てを探したが、どこにも伊丹十三が無いのだ。

 こうなれば意地でも見つけてやると、都心のブックオフを目指した。先ずは目白のブックオフ、ここは時々近くに用事があるので立ち寄る店だ。しかし目指す本は無かった。そのまま一駅歩き高田馬場のブックオフ、ここは¥300の単行本コナーや専門書も置いてある中型店だが、ここにも無い。さらに山手線で原宿へ向かい原宿ブックオフへ、さすが大型店だけあって伊丹十三の新潮社版文庫が2冊あったが、探している日本世間話大系がない。

 いったい伊丹十三の本はどこへいったのだろうか。

 坪内祐三は、「シブい本」の”エッセイストになるための文庫本100冊”のなかで、昭和軽薄体として、伊丹十三「日本世間話大系」を、嵐山光三郎、椎名誠、村松友視などと一緒に上げている。椎名誠の本は、本屋にあふれるほど並んでいるのに、伊丹十三の本が無いのはどうしてだろうか。

 これは、最近、あまり新刊本を買っていないので、そろそろ買いなさいという本の神様の啓示かとかんがえ、結局、家の近くの本屋で新潮社版文庫を購入してきた。

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 やはり何度読んでも伊丹十三は面白い。いかにも肩の力を抜いて気楽に書いたように見せて、無駄な表現がまるでない。じつは相当練った文章ではと思っていたら、浅井新平さんが、新潮文庫版あとがきにそのあたりの話を書いている。「イタミさんは原稿用紙の裏に文字を書連ねていく。そして、それを原稿用紙のヒトマスに二文字入れて書き移し、最後にヒトマスに一字ずつ入れる」とある。これは、大変な労力だ!こんな細やかな作業をしながら、しかもそのことを読者に意識させない伊丹十三は、すごい!そして、このあとがきだけでも、新潮社版文庫を買った意味は十分ある。やはり、新刊本を買わねばならぬのだ。

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2006/05/20

いまふたたび伊丹十三

 駅近くの本屋、文庫本の棚で伊丹十三「女たちよ!」をみつけた。今月の新潮文庫「おとなの時間」フェアで選ばれた本を展示しているコーナーだ。伊丹十三の本は、以前、文春文庫で出されていたが、それらがカバーも新たに新潮文庫から再登場している。(左:文春文庫、右:新潮文庫)

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 いまは映画監督として語れることが多い伊丹十三だが、私と同年代の人は、伊丹十三は、チャールトンヘストンやデビッドニーブンと共演した国際的俳優であり、「ヨーロッパ退屈日記」「女たちよ!」などのエッセイでヨーロッパのライフスタイルから料理、クルマ、ファッションなどの話題を、幅広くを語る人として記憶している。伊丹十三の才能は、これだけにとどまらず、デザインやイラストの世界でも一流であった。たとえば、山本嘉次郎は、”伊丹十三さんの題字を得て、私は狂喜した。伊丹十三さんの明朝体は、日本一である。いや世界一である”と、「たべあるき地図東京横浜鎌倉」の中で述べている。

 伊丹十三は、ちょっとしたことにもホンモノにこだわる姿勢を貫いていた。豪華でなくとも、手間を惜しまず良い材料を選び正しい手順でつくられたものを選ぶ、それがホンモノの生活だという姿勢だ。いまやあらゆるブランドショップが集まる日本では、ブランド品を見ることも買うことも簡単になった、でも、ほんとうにそれが似合う人は少ない。たとえば伊丹十三は、「女たちよ!」のなかで”毛皮のコートを着るとたいがいの女性は高級コールガールに見えてくる、毛皮を着るためには毛皮に圧倒されないだけの気品というものが必要である”と語っている。これなどは、いまも十分通用する話だろう。

 こうしてみると、5月の新潮文庫「おとなの時間」フェアで伊丹十三の「女たちよ!」が選ばれたのは、なかなか良い企画だ。これを機会に、いまふたたび伊丹十三を読み返してみよう。

 ところで「女たちよ!」の最初の話は「スパゲッティのおいしい召し上がり方」だが、私は、そのスパゲッティでずっと気になっていることがある。 スパゲッティを食べるときスプーンを使う人である。右手にフォーク、左手にスプーンを持ち、スプーンでフォークをささえながらスパゲッティをくるくる巻きつけているが、あれがどうも気になる。

 以前、このスプーンを使ってスパゲッティを食べる方法を、ドイツに住んでいたイタリア人へ質問したことがある、その答えは、”子供ならよいが大人はしない”であった。逆に質問されたのは、”日本人は、ご飯を食べるときハシを使うが、外人にわざわざスプーンを出してきた日本料理屋があったが、スプーンでご飯を食べるのはどうだろうか?” である。そのときの私の答えは、”それはスパゲッティと同じだよ!”。はたして、スパゲッティを食べるときスプーンを使うのはイタリアではどのように思われているのだろうか?

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