銀座の橋
昭和30年代の中央区の地図をみると、銀座は外堀、京橋川、築地川、三十間堀などの川に囲まれている。
これらの川は、東京オリンピックやその後の開発をきっかけに高速道路や埋立地となり、そこに架けられていた橋も撤去された。数寄屋橋や三原橋など橋の名がつく交差点は、かつての橋の名残である。
銀座の橋がまだ現役だったころの小説がある。「橋づくし」(三島由紀夫、昭和31年)は、築地川とその支流にかかる橋を舞台にした短編。当時の銀座の町とともに花柳界で暮らす人々が描かれている。
橋づくしは、願かけの橋めぐりにまつわる話。
陰暦八月十五日、満月の夜に七つの橋を願をかけながらめぐる、その間、話しかけても話かけられてもいけない、同じ橋を二度渡ってはいけない。その橋めぐりを行なうのは、芸者二人と料亭の娘とそこのお手伝いの四人だが、橋めぐりがすすむにつれて思わぬ出来事のため一人二人と脱落してしまう。はたして最後まで無事まわれるのは誰だろうか、またその願いはなんだろうかとなるが、それは本を読んでのお楽しみである。
出発点は、築地川にかかる三つ又の橋である三吉橋(ここは二つの橋と数える)、そこから築地橋、入船橋、暁橋、堺橋となり、最後は備前橋。全行程1km程度のコース。
さて実際に歩いてみよう。
中央区役所前に立てば、正面にあるのが三つ又の橋である三吉橋。昭和通り側の橋のたもとに、三吉橋のいわれと三島由紀夫の橋づくしの一文とコースが記された記念碑がおかれている。(写真は三吉橋にある記念碑)
ここを出発点にして築地橋・入船橋を渡るのだが、はるか下にかつての川を道路にした部分が廃墟のように横たわっていて、水辺の雰囲気を楽しむのは難しい。入船橋から先は築地川公園となる。その公園を横切るように構造物があるが、それに暁橋の名のプレートがついている。さらに公園内を進むとまた構造物、こちらには備前橋の名が読み取れる。途中にあるはずの堺橋だけは名前を示すものが見つけられなかったが、現在児童遊園地になっているあたりと思われる。
このように、いまも橋づくしのコースをたどることはできる。しかし橋づくしが書かれた頃とはあまりに変化が大きい、それをどこまで想像力で補うかである。
補足:12月14日
堺橋について、Across the street soundsさんが、その位置を示す地図と痕跡の写真を掲載されました。ご参照下さい。